Φ 時の暇つぶし Φ <2>
「もう嫌だ〜〜〜〜〜っ!!」
リルは、うずたかく積み上がった古書の山の中から、悲痛な叫び声を上げた。
あれからもう四日経とうとしているのに、見つからない。どうしても、見つからない。何が見つからないの?と訊かれれば、時渡りの現れたという泉の場所が見つからないのだ。いくら時間などの検討がついても、肝心の場所が分からなくては、リルの努力も無駄というものだ。しかし、運命もそう甘くはなく、いくら書物を漁ろうが、泉の場所を示すような手がかりの一片でさえも、見つけることは叶っていない。
「何故に見つからないのだー!!もう一生分って言えるくらい沢山本を読んだって言うのにっ」
半ば自棄になったリルは、
「今夜ですよ奥さん、これもう間に合わないでしょ!?夕方まで、あと3時間ですよ!?私は絶対、時渡りに嫌われてるよー!!これは試練なの!?試練なのですかーー!?」
と、迷惑そうに見ている周囲の視線など気にもとめずに、大きな声を上げて騒いだ。しかしその時、リルの目線が急に上へと浮上した。
「ほわわっ?」
あらら、何だか皆さんより背が高くなっているぞ?もしかして、飛んでる?私、飛んでます?
あいきゃんふらーい、とどこかの本で読んだ台詞を呟いたリルだが、次の瞬間、背後からびりびりと伝わってくる殺気に気付き、身を竦ませた。
「まあ〜たお前か‥‥‥!!」
背後から、低めの明らかに怒りを含む声が聞こえる。リルは、あらら、やっちゃった‥‥と、後ろを見ないで肩をすくめた。
しまった、騒がなければ良かった。これはかなり面倒だ。よし、ここは爽やか美少女作戦でいこうか。いっちゃおうか。
背後の人物を確認したリルは、表情を即座に爽やかな笑顔へと変換し、後ろを振り向いた。
「ストラスさん、こんにちは。今日もその凛々しいお髭が素敵ですね。もう一時、貴方と語らっていたかったのですが、私、早急に片づけなければならない用事がありますので、今日のところはこれで失礼させて頂きます」
こんな言葉を高速で述べ、首根っこを掴む手から逃れると、笑顔も爽やかに去ろうとするが、後ろに立っていた大柄の男──カーマルイス資料館の司書である、ピンと反り返った髭がトレードマークの、ストラス=シュトルム、通称ストラスさん─ は素早く彼女の首根っこを掴み直すと、剣呑な声色で言った。
「ほう、語らっていたかったのなら、好都合だな。これから小一時間ばかり、お前とゆーーっくり話をしたいと思っていたんだ‥‥」
「ですから、またの機会に‥‥‥」
「前も同じ事を言っていなかったか?」
そう簡単に切り抜けることの出来ない強敵に、騒がなきゃよかったな、としばし後悔したリルだが、もう遅い。なので仕方なく、とりあえず尤もらしい理屈をつけて撃退する作戦でいってみる。
「大事なのは過去じゃなくて今なんです!!」
言ってから、あ、これは違うな、と彼女自身遠い目をし、的はずれな反論に目の前の男も目を一層怒らせた。
「微妙にクサい台詞を言うな!しかも、お前が言うともの凄く嘘っぽく聞こえる、やめろ!!」
「とにかく、今は忙しいんです、はなして下さいーー!!」
しっかり者の司書様は、どうやら周りの人間の迷惑にならないように、リルを猫の様に片手にぶら下げたまま、いつのまにか図書館の外へと移動していたようだ。
「ぐっ‥‥おい、暴れるな!!毎度毎度、お前には迷惑させられているんだ‥‥!!」
「例えば、何ですか?」
首根っこの手を振り払い、腕を組んで尊大な態度で問いかけるリルに、ストラスはビッ、とリルに指を突きつけ、言い放った。
「1,図書室での大声、47回!!」
「う゛っ‥‥!!」
具体的な事をはっきりと言われ、リルはなにかが喉に詰まったような声を出し、思わず後退る。
「2,貴重な本をうずたかく積み上げて崩す、29回!!3,借りたい本を他者に借りられないように、別ジャンルの本棚の奥深くに突っ込む、発覚しているだけでも、17回!!」
「ぐうぅっ!!‥‥時々隠しておいたはずの本が戻っていたのはそういうことだったのか‥‥」
すみません我が母君、不肖リリル・ソルスィエ、こういうチマチマとした悪事を重ねていたのであります。どうかお許しを、と、リルはそう遠くもない我が家に想いを馳せ、母に許しを請った。
「その他、図書室内で走り回る、本棚の上の花を魔法肥料で凶暴化させる等、13回!!うんぬんかんぬん、全て合わせれば、106回!!」
「何でそんな事いちいち覚えてんですか!?似合わない!そういう細かい男ってなんか気持ち悪ーい!」
「自分の悪事を棚に上げて好き勝手な事を言うなドアホウがっ!」
顔を真っ赤にして起こる司書の言葉に耳を塞ぐリルだが、その大音声に耳栓など効果はない。
「全く、お前のお母様もよく此処にくるが、お前のような真似はせんぞ!!」
‥なに?
耳に入ってきたその意外な一言に、思わずリルは今の状況を忘れて聞き返した。
「え?お母さんが、来てるの?ですか?」
「ああ。お前が学校に行っている時間帯に毎日来て、お前と同じように伝説関係の本棚ばかり見ているが、母娘そろって妙な物が好きなんだな‥」
「お母さんが‥何で‥‥‥」
そんな素振り、全く見せていなかったのに。何故、母がそんなところを見ているのだろうと驚いたリルだったが、その思考タイムは、ナイス髭の司書によりあっという間に崩壊した。
「そんなことはどうでもいいんだ!!今日という今日は、もう絶対に許さん!!教会の司教さまに頼んで、説教みっちり3時間コースを味わわせてやる!!」
「ひっ‥ひいいいぃぃ!それだけは勘弁!!」
ストラスの発言に恐怖したリルは、懐から小さな袋を取り出し、口を縛る紐をほどくと、司書殿の足下に思い切り投げつけた。
「うわっ!?な‥‥埃!?」
途端にぼわんと立ち上ったものは、ああ恐ろしや、リルがこんなこともあろうかと図書館でこつこつ集めた、100年ものの埃。
「ぶぇっくしょん!!はっくしょん!!はーーっくしゅ!!」
物心付いたときからずっと図書館に通い続けていたリルは、普段、彼がマスクをした上で、親の敵のように埃をぬぐっている大の敏感鼻さんだということを知っている。
「ふーーっふっふ!!油断しましたねー!」
リルは服の袖で鼻と口を押さえ、埃を吸い込まないようにしながら勝利の笑い声を上げた。
「ま‥‥待て‥‥っくしゅん!!っくしゅん!!逃がすか‥はーっくしょん!!」
哀れなストラスのくしゃみの音を背に、リルはその場から脱兎の如く逃げ出した。あれだけの量を吸ったら、しばらくはくしゃみが止まらないだろう。
「ごめんなさーい!今、本当に急いでるんですーー!!」
家への道を、ひたすらに走った。そろそろ、遠くの街へ仕事―魔法薬を売り―に行ったらしい母親が、戻って来た頃だろう。
出かけるとき咳をしていたので心配になって引き留めたのだが、『大丈夫よ、ただの風邪だから』と笑って出て行ってしまった。
「熱出してないといいんだけど‥‥‥」
家に向かって走っていると、よく差し入れに来てくれる、パン屋のテラおばさんに呼び止められた。
「あぁ、リルちゃん!大変なんだよぉ!」
おばさんは慌てた様子でリルの家の方を指さした。嫌な予感がしたリルは、両手をぐっと握りしめた。
「テラおばさん、何があったんですか?」
「ルオーヴァが、あんたのお母さんが!!玄関先で倒れてたって!郵便屋のロアが見つけたんだよ!!」
目の前が一瞬にして真っ黒く塗りつぶされたような感覚がした。
―お母さんが―。
「ありがとおばさん!!」
それを聞くなり、リルは全速力で家に向かって駆けだした。遠目に見えた我が家の前には、たくさんの人が居た。
「お母さん!!」
凄い勢いで家の中へ駆け込み、寝室のドアをばたんと開けると、そこには白い服を着た馴染みの医者フェンスター医師と、寝台に横たわる弱々しげな母の姿がリルの目に入った。
「お母さん!お母さん!大丈夫!?お母さん!!」
パニックになって叫びながら母の方へ駆け寄り、彼女の体を揺すろうとすると、医師の掌と、厳しい声が彼女を遮った。
「気持ちは分かるが、落ち着きなさい、リル!!病体に響くだろう」
びくっ、と体を強ばらせ、ゆっくり息を吸ったリルは、震える声で医師に聞いた。
「フェンスター先生、お母さん、大丈夫なんですか?ただの風邪ですよね?そうですよね!?」
リルが必死に、縋るように聞いたことに答えたのは、フェンスター医師ではなかった。
「大丈夫‥‥只の風邪よ。ちょっと疲れが出ただけ。心配しないで、リル」
「お母さん‥‥!!」
いつの間にか目を覚ましていたらしい母の声に、リルは安堵したが、完全に不安の雲が消えたというわけではなかった。
「本当に?本当の本当に、ただの風邪なの?」
「本当よ。本当の本当に、ただの風邪だから‥」
問いつめるが、母は全く取り合わずに、布団から出した手をリルの方へ伸ばした。
「ほら‥‥これ、街の古本屋にあったの。きっと役に立つ筈よ‥炎夜祭は今夜なんだから、もうあんたには時間がないでしょう?」
それは、とても古そうで分厚い、この国の伝説について詳しく書いてあるらしい本だった。
著者は――シディアン=リゼ=ロードクロサイト。
「‥‥これって‥‥っ‥!!」
魔法学校の創始者でありながら、自らは殆ど著書を残さなかったロードクロサイトの本。
「分かったら、早くそれを読んで、時渡りを‥泉を見つけなさい」
「で、でも、母さんが‥‥‥」
それでもリルが母親を気遣って戸惑うと、母は怒った声で威勢良く啖呵を切った。
「これを逃したら次の大満月は200年後なのよ!?ほら、とっとと出て行きなさい!病体に響くでしょう!?」
「こ、こら落ち着きなさい!今はあんたの大声のほうが病体に響くんだから」
それでもまだリルは不安の表情をぬぐい去ることが出来なかったが、とりあえず母親から本を受け取ると、ありがとう、と言った。
「分かったから母さん、安静にしていてね。お医者さん、お母さんをお願いします」
「ああ‥‥」
医者にぺこりと頭を下げると、母親の言うとおりリルは部屋を出たが、母親がこんな状態でのんきに本など読んでいられない。しかし今入っても追い出されるだけなので、丁度部屋を出たところの廊下に座り込む。ああ、なんでこんな時に、こんな事になってしまうんだろう、と、無理に外出して体調を崩した母親を少しだけ恨めしく思い、ため息を吐いたその時。
「‥‥しかし、本当にいいのか‥?」
僅かに開いたドアの隙間から、母と医者の声が聞こえてきて、思わず息を潜め、耳をそばだてた。
「いいんです‥今余計なことを言っても、どうにもならないし‥けほっ、あ、の子を傷つけるだけです‥から‥けほ、けほ」
さっきとは打ってかわって弱々しい母の声。
矢張り、自分に心配を掛けまいと無理していたのだ、とリルは確信したが、話の内容が不審に思え、胸中を不安の雲が覆う。
「でも、そのままだと死んでしまうぞ‥他の親類を探すとか‥」
先生、何、言ってるの。そのままだと、死ぬ?だって、さっき大丈夫って言ったのに。
ぎゅっと握った手が嫌な汗でじとりと濡れて、嫌な予感だけがどんどん大きくなっていく。
「わたしは、孤児、だ‥たから、わた、しの血縁は、もうあの子しかいない、けほっ、です‥‥」
只の風邪じゃなかったの?なんで親類の話をするの?ねえ、誰か。
何でもいい、誰でもいいから、この嫌な予感が嘘だと、今すぐ証明してほしかった。
「体調が悪いのに、あの子に嘘を吐いて、遠くの王立図書館まで行ったんだろう?ストラスから聞いたぞ‥何故そこまで‥」
リルのためだったのだ‥‥何もかも。
母が忙しい仕事の合間をぬって図書館に通っていたのも、具合が悪い体を押して街へ行ったのも、みんな、リリルのために。
「‥だっ‥‥て‥あの子の、夢、だから‥」
リルからは見えないが、弱り切った魔女は、その赤い瞳で虚空を見つめ、小さく笑顔をつくった。
「あの、子‥‥魔法が使えない、から‥‥だから、時渡りを、必死になって、探すのよ‥」
リルは。リルは、両親が優秀な魔法使いであるにも関わらず、全く魔法が使え無いどころか、魔力の欠片さえも見いだすことは出来なかった。だから、時渡りを、魔力の無い子供に魔力を与えたという時渡りを必死になって探すのだ。
「きっと‥あの人‥夫、も分か‥てくれると思‥ます‥私‥あの子に‥何もしてあげられないの。だからせめて、あの子の夢が叶って欲しい‥‥それが、私の夢、なんです‥」
リルは、自分の心に、何本も何本も大きな杭が打ち込まれるような感覚を味わった。
「大丈夫よ‥‥あの子、は‥きっと、時渡りを見つけだすわ‥そして、誰よりも偉大、な‥魔法使いになる‥私の命が尽きる前か‥後かは、分からないけれど」
母はいったんそこで息をついたようで、数秒の間、喉の奥に風が吹いているような荒い息遣いが聞こえた。
「‥どうか、あの子には言わないで下さい。もしも、間に合わなか‥たとき、あの子が傷つくのは、嫌‥ですか、ら」
神様、どうか奇跡を起こして。そう言った弱弱しい声と、そんなもの、と搾り出すように呟いた、やや掠れた声が耳に届いた。
「‥私には何もしてやれない‥弱っていく病人を、見ているだけだ!!私は神も奇跡も信じない。本当に神がいるのなら、こんな酷いことをするものか‥!!ああ、逃魔病なぞ、とっくに絶滅した病だと思っていたのに‥」
この先の言葉は、聞いてはいけない。でも、聞かないといけない。二つの矛盾した予感に挟まれて硬直したリルの耳に、慣れ親しんだ医師の言葉は実に簡単に流れ込んだ。
「『血縁者の魔法でしか治らない』なんて、私には、どうしようもない」
その台詞を聞くなり、リルは音を立てないように走り、自室に入るなりその本を開いた。もう時間がない。馬鹿だ、とリルは唇をかんだ。
本当に、馬鹿な親子だ。おとぎ話のような伝説を信じて、すがる思いで調べ続ける自分。そして、そんな娘の荒唐無稽な夢のために、絶滅寸前の奇病をもらってきてしまった母。
母は自分のためにこっそり調べていてくれたのに、知ろうともしなかった。あのとき、無理にでも引き留めるべきだった。嫌な予感がしたのだ。たとえ魔力が無くても、確かに魔女の血を引いているのだから、リルの予感は予知とほとんど変わらない。だから、嫌な予感は、当たるはずだった。魔法なんかより、魔力なんかより、母の命の方が大切なのに。
そんな思いに急き立てられながら、ホタルダケの粉が入った硝子玉で文字を照らし、震える手でページをめくる。単調な作業を、ただひたすら、一心に続ける。貴重な古書のページに涙が落ちるのも気にせず、読み続ける。時渡りに会って、母を助けたあと、魔法で直せばいい。
リルが本を読み始めてから、丁度半時ほど経った。人を殺せそうなほど分厚い古書を、得意の早読み技術ですらすらと読んでいくと、とうとう、ある一文に目が止まった。
「‥こ、これ‥‥!」
難解な暗号文も、何年も読んでいれば一瞬で読み解けた。その内容を直訳すれば、こうだ。
『泉の周りには、銀色の花を持つ木があったと言われるが、その花が何かは分かっていない』。
「これが当たってなければ、もう終わりだ‥」
リルは、祈るような気持ちで、もともと学校のレポート用に借りた、父の新しい著書である植物学の本を本の山から引っ張り出して開いた。索引から探し、ページの中程を開くと、美しい銀色の花を一面に咲かせた大木の絵が現れ、リルは確信した。
間違いない、あそこだ。最初からこの一文が他の本にも書いてあれば楽だったのに、と、歴代の魔導師達の秘密主義が、今更恨めしく感じられてたまらない。こんな近くにあったなんて、ずるい。すっかり見落としていた。
がたんと立ち上がったリルは、コートも着ずに家の外へ飛び出した。
急ごう、黒森へ。
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